検索

2022年12月9日金曜日

土地転がしお婆さん

以前、駐車場を個人的に契約しなきゃいけなくて

契約したら、仲介者が80代の自称土地転がしのお婆さんだったの。


その人が

「父親くらい上手に扱えないと、旦那なんか操れないよ!」と言っていたのよ。


自分は独り身なのに。


そういう問題じゃなくて、サイコパスがたまたま身内ですごく困って辟易としてるのに。

思いやりのない人だなと思いました。


あと

「いらない服をもらってくれ」とか

「連絡ください」とかしつこくて


その駐車場はすぐ必要じゃなくなったから

縁切れてよかったのだけれど、、、

寂しい独り身のお婆さんは相手にしちゃいけませんね。

2022年12月5日月曜日

ブログ復活

 



ブログ書いてなさ過ぎて

何を書けばいいのかわからないのですが

再開したいとおもいます。



以前は毎日、1日何回でも書いていたのが

かけなくなって ついったーに色々書いて、

それが定着してしまいました。



毎日 虚しさとイライラを募らせて、

死ねないので生きています。


8月に犬が死んだことが、暗い影を落としています。


大きなショックがあった3ヶ月後に、がくんとくるそうで。

まさにそういう感じです。



乏しかった人間関係がさらに狭まり

でも人としてどうかと思う人間と住居がおなじなので

毎日イライラが募り ネットで暴言をはくしかなく


ひとが離れていくいっぽうです。




ひとは離れる時もあるけど また戻ってくる時もありますよ〜と

ネット上の知り合いに言われました。ほんとうにそうでしょうか?そう思いたい…。



すっかり嫌われてしまった※ので 寂しい。


寂しいとまた、孤独感からイライラして 思ってないことも言って気を引こうとして嫌われる。


(※前からそうだったのが、表層化しただけ)



またぼちぼち 更新していけたらとおもうので


できたら前みたいに 毎日 なんでもないことを綴っていけたらと思います。


またよみにきてください。


🍓🍓🍓


写真を公開するの、怖いけれど

本業なので、ほんとは見て欲しくて 色々のせます。



在りし日の犬と車


最後に出された薬



車の打ち合わせ
10回くらいは行ったような…。



連日の40度



ガソリン入れて帰ってきたら運転席にいた



これいいしょ


3Mのコマンドタブ


無印の結束テープ



最後の三島池になってしまった

13年 あまりにも短い

ものすごくおおきくて、尊い存在。


2022年11月25日金曜日

林田さんへ

 

このブログをもう見にこないでください。

私の個人情報は全て削除、廃棄してください。

今後関わる気は一切ありません。

ブログを見にこられるのも、いい加減うんざりしています。気分が悪いです。

よろしくお願いもうしあげます。

2022年11月6日日曜日

まだ11月


最近衝撃的だったけど

普通の人は、自分を罰して生きてないんだね。

反省しても一瞬、フリだけって人が多いらしい。


私、生まれてこのかたずっと自分が悪い、反省しなきゃ、悪口言われる自分が悪いといつも心の中いっぱいに反省を持ってる。


そりゃあ病気にもなるよね。




何かあるとすぐ、原因=お前じゃないか!?と言われてきて、

「あんたのここが悪かったから相手が嫌な思いしたんや」と言われてきた。


悪くない!味方だよ!と言ってもらったこと、無し。


だから平気で薬を83錠いっき飲みしてリストカットもしたし

自分を粗末にし続けてきた。




親から信じて貰えず。


高校の合格発表、受かると思ってなかったから休みとってない。


と言われて親同伴の説明会、

私だけ一人。


あの時の屈辱はどうやったら消せるのか。

認知症になったら消えるのか?

それなら忘れることが救いなので早くわけわからない頭になりたい。



犬が死んでしまったし

  がふたりも離れていったし

8月にmちゃんと電話しようといっていたこともスルー

バイトのギャラは支払われず

トイレと酒とタバコと甘いものの異常無職親がいきてて 地獄

2022年9月28日水曜日

菅さんの弔辞|国葬|かたりあひて 尽し丶人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ


7月の、8日でした。

信じられない一報を耳にし、とにかく一命をとりとめてほしい。あなたにお目にかかりたい、同じ空間で、同じ空気を共にしたい。


その一心で、現地に向かい、そして、あなたならではの、あたたかな、ほほえみに、最後の一瞬、接することができました。


あの、運命の日から、80日が経ってしまいました。


あれからも、朝は来て、日は、暮れていきます。

やかましかったセミは、いつのまにか鳴りをひそめ、高い空には、秋の雲がたなびくようになりました。


季節は、歩みを進めます。あなたという人がいないのに、時は過ぎる。

無情にも過ぎていくことに、私は、いまだに、許せないものを覚えます。


天はなぜ、よりにもよって、このような悲劇を現実にし、いのちを失ってはならない人から、生命を、召し上げてしまったのか。


悔しくてなりません。哀しみと、怒りを、交互に感じながら、今日の、この日を、迎えました。


しかし、安倍総理…と、お呼びしますが、ご覧になれますか。


ここ、武道館の周りには、花をささげよう、国葬儀に立ちあおうと、たくさんの人が集まってくれています。


20代、30代の人たちが、少なくないようです。明日を担う若者たちが、大勢、あなたを慕い、あなたを見送りに来ています。


総理、あなたは、今日よりも、明日の方が良くなる日本を創りたい。若い人たちに希望を持たせたいという、強い信念を持ち、毎日、毎日、国民に語りかけておられた。


そして、日本よ、日本人よ、世界の真ん中で咲きほこれ。――これが、あなたの口癖でした。


次の時代を担う人々が、未来を明るく思い描いて、初めて、経済も成長するのだと。


いま、あなたを惜しむ若い人たちがこんなにもたくさんいるということは、歩みをともにした者として、これ以上に嬉しいことはありません。報われた思いであります。



平成12年、日本政府は、北朝鮮にコメを送ろうとしておりました。


私は、当選まだ2回の議員でしたが、「草の根の国民に届くのならよいが、その保証がない限り、軍部を肥やすようなことはすべきでない」と言って、自民党総務会で、大反対の意見をぶちましたところ、これが、新聞に載りました。


すると、記事を見たあなたは、「会いたい」と、電話をかけてくれました。


「菅さんの言っていることは正しい。北朝鮮が拉致した日本人を取り戻すため、一緒に行動してくれれば嬉しい」と、そういうお話でした。


信念と迫力に満ちた、あの時のあなたの言葉は、その後の私自身の、政治活動の糧となりました。


その、まっすぐな目、信念を貫こうとする姿勢に打たれ、私は、直感いたしました。この人こそは、いつか総理になる人、ならねばならない人なのだと、確信をしたのであります。


私が、生涯誇りとするのは、この確信において、一度として、揺らがなかったことであります。


総理、あなたは一度、持病が悪くなって、総理の座をしりぞきました。そのことを負い目に思って、二度目の自民党総裁選 出馬を、ずいぶんと迷っておられました。


最後には、2人で、銀座の焼鳥屋に行き、私は、一生懸命、あなたを口説きました。それが、使命だと思ったからです。


3時間後には、ようやく、首を縦に振ってくれた。私はこのことを、菅義偉 生涯最大の達成として、いつまでも、誇らしく思うであろうと思います。


総理が官邸にいるときは、欠かさず、一日に一度、気兼ねのない話をしました。いまでも、ふと、ひとりになると、そうした日々の様子が、まざまざと、よみがえってまいります。


TPP交渉に入るのを、私は、できれば時間をかけたほうがいいという立場でした。総理は、「タイミングを失してはならない。やるなら早いほうがいい」という意見で、どちらが正しかったかは、もはや歴史が証明済みです。


一歩後退すると、勢いを失う。前進してこそ、活路が開けると思っていたのでしょう。総理、あなたの判断はいつも正しかった。


安倍総理。日本国は、あなたという歴史上かけがえのないリーダーをいただいたからこそ、特定秘密保護法、一連の平和安全法制、改正組織犯罪処罰法など、難しかった法案を、すべて成立させることができました。


どのひとつを欠いても、我が国の安全は、確固たるものにはならない。あなたの信念、そして決意に、私たちは、とこしえの感謝をささげるものであります。


国難を突破し、強い日本を創る。そして、真の平和国家 日本を希求し、日本を、あらゆる分野で世界に貢献できる国にする。


そんな、覚悟と、決断の毎日が続く中にあっても、総理、あなたは、常に笑顔を絶やさなかった。いつも、まわりの人たちに心を配り、優しさを降り注いだ。


総理大臣官邸で共に過ごし、あらゆる苦楽を共にした七年八か月。私は本当に幸せでした。


私だけではなく、すべてのスタッフたちが、あの厳しい日々の中で、明るく、生き生きと働いていたことを思い起こします。何度でも申し上げます。安倍総理、あなたは、我が国日本にとっての、真のリーダーでした。



衆議院 第一議員会館、1212号室の、あなたの机には、読みかけの本が一冊、ありました。岡 義武 著『山県有朋』です。


ここまで読んだ、という、最後のページは、端を折ってありました。そしてそのページには、マーカーペンで、線を引いたところがありました。


しるしをつけた箇所にあったのは、いみじくも、山県有朋が、長年の盟友、伊藤博文に先立たれ、故人を偲んで詠んだ歌でありました。


総理、いま、この歌くらい、私自身の思いをよく詠んだ一首はありません。


かたりあひて 尽し丶人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ


かたりあひて 尽し丶人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ



深い哀しみと、寂しさを覚えます。


総理、本当に、ありがとうございました。


どうか安らかに、お休みください。


令和4年9月27日 前 内閣総理大臣

友人代表 菅義偉


2022年9月23日金曜日

空色|岡崎律子|歌詞


長い長い坂道の途中でつまずいて

痛い なにかが切れて もう歩けない


つま先立ちみたいな日々でも いつかきっと

つよくなりたいと見上げる空は高く


よろこびもかなしみも ふいに私を試す

もう幾度 越えただろう

ひとり泣きあかした夜明け


小さな決心くり返し 歩いていくの

はらはらと雪の舞う道も 春には花


傷つけあう日があるけれど でも平気

ほんとうは誰もがやさしくて 求めあってる


かなしくてかなしくて 心ちぎれそうな夜

それでもなお信じてみる

細い希望つないで


こらえてもこらえても 落ちる涙ならいいの

雨が降る 激しく降る

すべてを流してく


生きるのは苦しいの 同じくらい素敵なの

今を越えて ここを越えて

また笑ってみせて


よろこびもかなしみも その手に抱きしめていける



4月の雪|歌詞|岡崎律子|いつも大変さ 生きてくってことは

ちらちらと 白い雪が

レンガの路に降る

落ちては ほら

溶けて消えるよ

息で曇るガラスに

指先で引く 遠い空

ひとり見上げている

4月の遅い雪に

春の気配も じらされて

ため息がひとつ

楽しいばかりじゃないよ

時には そう 自分が

とてもとても小さく思える


ねぇ 誰もそうだよ

涙や いたみ

それぞれの胸 うけとめて

迷っている

ひらひらと 舞う花びら

白い雪と踊る にぎわう街

今日から春のフェスタ

もうすぐだよ 出ておいでよ

うつむいていないで

寒くないよ 春はすぐそこ


歩道の脇の花壇 咲きかけた花

あたたかな陽射し 待ちぼうけね

行き交う人の笑顔 しあわせの数

私だけ さみしいのはなぜ

つらくなることもあるね

だけどそんな時にも

微笑むこと 忘れちゃいけない

そうよ 思い出してね


誰にもきっと 味方がいるの

あなただけ 見ていてくれる

知っていたよ ずっと見てたよ

涙かくす場面も いつも大変さ

生きてくってことは

寒い夜も 遠い道も

なげださずにきたね

時はめぐる 春はすぐそこ


ちらちらと 白い雪が

レンガの路に降る

落ちては ほら

溶けて消えるよ

出ておいでよ 寒くないよ

4月はじめの雪

もう春だよ 冬にさよなら